【真宗大谷派正覚寺】

 住職(ちいくん)

Author: 住職(ちいくん)
名古屋市昭和区にある
正覚寺という真宗大谷派の
お寺の住職です。

愛知万博にはまってました。
趣味は水泳です。
ネコを飼ってます。名前はちいくん。

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『寺報』とは、
住職が思った事や感じた事、
仏教について、お経について、
また、連絡事項などを書いて
月に一度発行しているものです。

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■お寺についての詳細は
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この子らを世の光に

Sat.12.05.2012 0 comments


先日、Kさんのご葬儀をつとめさせていただきました。Kさんとのご縁をいただいたのは二十年くらい前になくなられたおじょうさんの葬儀をさせていただいたときからです。

Kさんにはお子様が三人みえました。三人のうち二人はどちらも大変優秀な方で、お一人は中学校の校長先生、もう一人は大会社の役員をしてみえました。そして、二十年くらい前になくなられた方は、知的障害のある方で、特殊学級に入ってみえました。障害のあるおじょう様がなくなられたとき、Kさんは私に次のようなことを話して下さいました。「もし、この子がいなければ、私は他の人を見おろし、ごうまんな生活をしていたと思います。この子がいたおかげで、私はごうまんな思いをすることなく、他の人にやさしい心で接することができるのです。この子のおかげです。」と申されました。

私は次のことばを思い出しました。戦後、近江学園という知的障害の子の為の施設をつくられた糸賀一雄先生のことばです。
「この子らを世の光に」と申されました。「この子らに世の光を」ではないのです。弱い立場の人が安心して生きられる社会は、実は誰もが安心して生きられる社会なのです。

弱い立場の人もそうでない人も障害のある人もそうでない人も共に生きる者としておん同朋、おん同行でありたいと心より思うのです。

お釈迦様はお目の不自由なお弟子さんの衣服のつくろいを手伝われたという話を聞いたことがあります。

○来月の予定

三日講6月3日(日)2時〜3時半 正覚寺でおまいりください。
毎月3日は正覚寺へおまいりの日


『寺報』 平成24年5月 第127号より

お念仏の声ひびけ

Sat.07.04.2012 0 comments


先日Kさんが97歳でお浄土へおかえりになりました。Kさんは毎日朝夕のおつとめ、読経を欠かさない人であったようです。七日まいりでおじゃましました時に、ご家族様よりKさんの使ってみえた正信偈の本を見せていただきました。手あかで黒くなっており、表紙はちぎれそうになっていました。「お聖経は読みやぶれ」と蓮如上人は申されます。「貴いことです」と申し上げました。

最近はあまり聞きませんが「念仏ばあちゃん」といって、ねてもさめても食事のときも念仏申す方がみえました。もう何拾年も前のことですが、私が阿弥陀経を読めなくてしどろもどろのときうしろから念仏の声がして「がんばれ、がんばれ」とはげまして下さったことを思い出します。

七高僧のおひとり道しゃく(どうしゃく)様は、皆で声を合わせて念仏できるようにくふうされました。小豆念仏といって、一声の念仏で一つぶずつますにれるようにしたり、何人かで一連のじゅずを持って、一声の念仏で次の人へじゅずをまわしたりします。高らかで大らかなお念仏の合唱ができたらと思うのです.

ナムアミダブツのナムはざんきのことば「申し訳ありません」「ごめんなさい」「自分勝手な私をゆるして下さい」アミダブツはよろこびのことば「命をいただきありがとうございます。」「おかげさまです」と聞きました。

この私こそが問われているのです。何事もお念仏の心で生きたいと思うのです。

なお、月まいりやご法事のとき、ほとんどのご家庭で正信偈をいっしょに唱和して下さいます。ありがたいことと感謝しております。


○来月の予定

三日講5月3日(木)2時〜3時どなた様もお越し下さい
毎月3日は正覚寺へおまいりの日


『寺報』 平成24年4月 第126号より

救われた人

Mon.05.03.2012 0 comments


先日、久しぶりにお寺でのお葬式をさせていただきました。Bさんのお父さんが突然の病いで亡くなられたのです。お通夜では、久しぶりに兄、妹、おじさん、おばさんが集まり、夜おそくまで話しをしてみえたようです。

お通夜の次の朝、Bさんは目にいっぱいなみだをためて、私に話しかけてみえました。Bさんは今までずっと「私は父母にかわいがってもらっていなかった」と思っていたというのです。ところが兄やおじさんおばさんが言うには「お父さんはお姉さん(Bさん)を一番かわいがっていて、心配をしていた」というのです。今まで父に自分勝手なことばかり言ってこまらせていたのに、その話を聞いて、がくぜんとした、というのです。ご遺体に向かって「父さんごめんね」と言ったら、父は笑顔でゆるしてくれた、というのです。

五年前にお母さんを亡くされた時、Bさんはとりつくしまもなくとげとげしい顔で話しをすることもできませんでした。しかし、今日は人が変わったようにBさんは憎しみの心から救われたのだと思いました。

私は自分の父のことを思い出しておりました。私が幼稚園児のころ、家にお風呂がなかったのです。家族そろってお風呂屋さんへ通っていました。お風呂屋さんの帰り道私は必ず父の背におぶさっていたことを思いだします。父の背に、おぶさっていた、そのことが今生きる上で力になっているのかと思うのです。

○来月の予定

春の法要4月3日(火)10時〜3時(午後始経1時半)
毎月3日は正覚寺へおまいりの日どなた様もお越し下さい
春の法要の法話は荒山淳先生です。

『寺報』 平成24年3月 第125号より

もったいない

Sat.04.02.2012 0 comments


ケニアの人でノーベル平和賞を受けられたワンガリーマータイさんという方がみえました。先年なくなられたと聞きました。マータイさんはケニアの環境大臣を努められ、植林を実行され、アフリカ女性の社会的地位の向上、社会的自立の道をすすめられました。

日本にもおこしになり、日本のことば「もったいない」を大切なことばとして伝えて下さいました。「日本のトイレはすばらしい。日本のトイレは水の使用について大小の区別があり水を大切に使っている」と申されたそうです。

日本にはありあまる食物がありむだな食品として賞味期限の切れたおにぎり、弁当、おかしなどたくさん捨てられていることが問題になりました。最近では捨てられない人が問題になっています。私にもその傾向があります。

人生についてもったいないこと、恐ろしいことは「むなしい人生を送ること」これを「空過」といいます。むなしくない人生を送りたいものだと思うのです。

「本願力に会いぬればむなしくすぐる人ぞなき、、、」(親鸞聖人)

本願力というのはアミダ仏の願い、私の本当の願いに気づくことだと思うのです。

信心というのは自分を信ずること、往生というのは自分の生きる道がみつかることとききました。むなしくない仕事のみつかった人は本当の幸せだと思うのです。私もそうありたいと思うのです。

「そうだうれしいんだ生きる喜び たとえ胸の傷がいたんでも 何のために生まれ 何のためにいきるのか 答えられないなんて そんなのいやだ」(アンパンマンのテーマソング)


○来月の予定

・三日講3月3日(火)2時〜3時半
・毎月3日は正覚寺へおまいりの日どなた様もお越し下さい


『寺報』 平成24年2月 第124号より

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